遺言「死者の無念を希望へつなぐ」より
　実に残念な負傷をされた　矢野　武士
　　高射砲陣地で、収容されて治療を受けていた矢野武士さんは、敗戦翌日の転院の車中での感動的は終戦秘話を伝えています。

　八月十五日の晩八時頃、命令があった。本日正午に天皇陛下のラジオ放送があって、いよいよ日本は戦争に負けた、無条件降伏だとの話だ。戦争は終わった。それなら我々も治るぞ、と顔を合わして喜んだ。そこで長崎にはみんなを入れる病院がなくなったので、佐賀陸軍病院に転送することになった。（中略）
　長崎駅では、なにしろ終戦という事で、軍人や地方の人が大きな包を持ったりしてごった返していた。我々は負傷の傷が痛いので、物にふれるのが恐ろしくて仕方がなかった。長崎駅を出て三駅ほど行った折、駅の方から七、八人の男がどやどやと汽車の中に入って来て、「おい通りをあけろ、席をあけろ」と大変な剣幕だった。我々は傷が痛いのでこわく、じっと我慢をしていた。あまりにはなはだしいことだと思っていたところ、すぐそばに立派な軍服を着た、六十四、五歳位の陸軍少将の襟章をつけた人が、大きな声はりあげて、「今乗り込んだお前達は何者だ、ここには長崎の原子爆弾で負傷した兵隊がたくさん乗っておられるんだ、しずまらんか」とどなられた。すると、七、八人の男は「我々は線路班の者でありますが、それとは知らずに大変失礼な事を致しました」とあやまった。そして、その陸軍少将の人は我々に向かって挨拶された。「私は名前は言えないが、ずっと前から日本と満州国を何時もあちこちしている者だが、あなた達は実に残念な負傷をされた。今からあなた達が治って軍人になって、仇を打つという事は出来ないことになった。実に苦しい負傷だが仕方はないから、病院に行かれたら良く治療を受け、早く治って、懸命に家業に働いて下さい」と実に有難い挨拶を受け、感動極まる場面があった。